kids are alright!!
フクハラトシハル、只今米国留学中

1.ニール・ヤング、ジョーマックス・ムーア

目の前のTVから、
本来なら聞こえてくるはずのない曲が流れてきた。
ベトナム戦争時と同様に反戦ソングと指定され、
全米各地の放送局へ一時的な放送自粛の通知が下された
ジョン・レノンの『イマジン』。
全米はおろか世界の多くの国々が生中継を行った
全米同時テロ事件の犠牲者に対するチャリティーコンサートにおいて、
ニール・ヤングはその禁を破り、この鎮魂歌をNYへと捧げた。

大変な時期にアメリカに来てしまった、と思う。
僕は今夏より長年住み慣れた東京を離れて、
アメリカのミシガン州に居を移した。
もっと正確に言うと、
今年の3月に日本の大学を卒業して、
それまで大学生と二足の草鞋で勤めていた
スポーツ関連の商社に正式にお世話になる予定だったのだけれど、
なぜか7月に会社に退職願を提出し、
8月からはミシガン州立大学というところで、
再び学生をするはめになった。
8月下旬にミシガンにやってきたもののこちらの生活にも慣れず、
またアメリカ人のネイティヴな英語が速すぎて、
半分も理解できないままに迎えた9月11日の朝、
NYおよび幾つかの地点で大惨事が起こったことを知る。

一連の騒動を不思議と冷静に見ていられた。
同じ時差域とはいえ、
僕が住んでいるミシガンとNYは決して近いとはいえない距離だから
現実感に乏しかったのかもしれない。
こうしてPCに向かいコーヒーを飲みながら
普段と変わらない日常を過ごしている自分は、
今もNYで消息不明の家族や恋人を探している人々にすれば
申し訳ないぐらいに幸せ者なのだろうと自分でも思う。
でも、もちろん今でもテロリズムや
今回の事件に対する怒りや悲しみは自分の中に内包してある。
事件発生直後、泣きじゃくる女性や顔の生気を失った男性を
多く目の当たりにした。
そのなかで、無意識に少し引いた位置で
客観的にこの事実を見定めようとしていた自分は、
やはり日本人なのだと強く認識するようになった。
「うちの大学も標的になる可能性はあるのかしら」
「もしかしたら俺も徴兵されるかも」。
それからはそんなアメリカ人のヒステリックな嘆きを聞くたびに
「あはは、そんな訳ねーじゃん」となるべく気丈に
彼らと接するようにしている。
自分はどこまでいっても日本人で、
彼らの心の葛藤を最後まで伺いとることはできない。
だからこそ、日本人の僕には僕なりの方法があるはずで
「自分が日本人である」ということに
常に軸足を置いて物事を考えていかないと、
うまくいかない事というのは実はたくさんある。
不謹慎な表現になるかもしれないけれど、
この時期にアメリカに滞在する事ができたというのは、
日本人の僕にとっては意義深い事なのかもしれない。
これが僕の”9・11”後の顛末というか、僕の正直な思い。

スポーツが平和の象徴で
戦争やテロリズムを直接中止できるような綺麗なものでない事は、
さすがに僕もみんなも知っている。
だけどこんな絶望や不安で乾ききった世の中にこそ、
それを潤してくれるスポーツの存在の大きさを
僕らは再認識したわけで。
もの凄い量の人々から熱と期待を帯びたアメリカのスポーツ界は、
僕らの期待以上のドラマを与えてくれた。
皆さんもご存知のように、
シアトルでは事件直後に地区優勝を果たした
MLBシアトルマリナーズの選手、スタッフが
ピッチャーズマウンドに介して祈りを捧げ、
地元NYに本拠地を持つヤンキース、メッツの両チームは、
NYに希望を与えるために
NY市警"NYPD"の帽子を着用してプレーする。
またNBAでは今シーズンから
「神様」ジョーダンがまた戻ってくる。

ブッシュ大統領がアフガニスタンに反撃を開始した、
との声明を出した10月7日。
NYから程近いマサチューセッツ州フォックスボロで
アメリカvsジャマイカのW杯予選が行われた。
北中米連盟(CONCACAF)に与えられたW杯への切符は3枚。
それまで4位と低迷していたアメリカは
このジャマイカ戦で勝たなければ、
本大会出場は絶望的だった。
前半、ジャマイカに先制を許したものの、
後半、ジョーマックス・ムーアの2ゴールで逆転し、
2-1で勝利。
上位陣にもたつきが見られたため、
アメリカはなだれ込みで来年の本大会出場の切符を手にする。
実は僕はこの試合を実際に見る事ができなかった。
本来はTVで見る事ができるはずだったのだけれど、
アメリカ軍の反撃開始によって中継が流れた。
仕方無しにインターネットラジオを点ける。
音だけしか聞こえないラジオは
大変想像的かつ叙情的なメディアで、
サッカーの風景を僕の脳裏に描かせながらも、
僕の思いを色々とあちこちへ巡らせる。
僕の将来のこと、友達のこと、
遠く離れたところにいる彼女のこと。
まったくサッカーとは関係もないのに僕の感情は揺れ動き、
その思いがそれまではどうでもいい存在だったはずの
アメリカ代表に結びつく。
勝った瞬間、一緒にラジオを聞いていたアメリカ人の友達と
手を取り合い、雄叫びを上げる自分がいた。
よく訳わかんないけど感動している自分自身がいた。

するのも見るのも同じだと思うのだけれど、
スポーツは等身大の自分を投影すればするほど、
返ってくるものが大きい。
返ってくるものが喜びなのか切なさなのかはわからないけれど。
でも、僕がスポーツと関わる以上は楽しみたいし、笑っていたい。
当たり前の事だけれど、
今回の事件を契機に改めて強く実感したことだ。

(つづく)

10/26/01 UPDATE

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